2014年10月9日木曜日

在家仏教とは

問います。
与那観!坊さんってどう?日夜、酒肉を貪ってSEXに興じて、さして教学もなく、俗人から仏道に関する質問されても逆切れしたり、逃げたり・・・ってそれ、ただの法事屋の禿げ頭ですよね。そんな人たちが本当に仏教界に必要なんですか?今や仏教学の知識もグーグル先生に聞けばいいし、これからの仏教はやはり在家仏教が主流だと思うのですがどうですか?




 答えます。

あはははは、「在家仏教」その言葉自体が既に自己破綻していますね。「病人医療」「患者医学」と言っているのと変わりません。病人に医療が施せるなら最初から「病人」と「医師」は不要ですね。


第二点目、教主釈迦牟尼世尊、竜樹菩薩、天台智者大師、伝教大師、日蓮大聖人、各々二祖、三祖・・・・全部僧です。僧を否定するなら教主から否定することになりますから教えと教団自体が成り立ちません。





あとはあなたの価値観の問題です。あなたが「仏法」を信仰としてではなく単に東洋哲学または歴史文学的な自己啓発ととらえるならば、あなたにとって僧は不要かも知れません。


但しその際はそのあなたの信仰体系を世間に「仏法」「仏教」と決して名乗ってはいけません。「仏法風私見」「仏教的私見」と自由に名乗って下さい。それは仏の教えではないからです。仏の教えで無いものを仏の教えと偽る事により、後から来る何も知らない求道者が歩むべき本来の道への障害となって極めて大きな罪になります。求道者を迷わせる行為は魔の所為と呼ばれます。そのことを言論の自由、表現の自由とか言わないで下さい。暴言の自由や虚偽の表現の自由はありません。




しかし「仏法・仏教」とかの表現を回避するなら全く自由です。○○法、△△教とか、あなたが自負する優れた信仰体系なら、何一つ問題ありません。何も敢て古めかしい仏教を引き合いに出す必要もありません。自信を持って堂々と○○法、△△教、□□宗と名乗って下さい。






じゃあ、なぜ敢てそんなに仏教にこだわるのですか?自問して探求してみて下さい。結局それはあなたが仏道の真の求道者だからなのです。ですから是非、正直に正法正師にご縁下さい。正直に願っていればきっと遭えます。あなただけの運命の正法正師に。そうすれば一切の疑問が嘘のようにスッキリ晴れ渡ります。何故なら正法正師が仏様にお目にかかる機会をあなたの為に作って下さるからです。

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